ふれっしゅのーと

ふれっしゅのーと

趣味に生きる30代エンジニアが心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくるブログ

小字の頭を繋げてみれば文明開化の音がする

こんにちは、小字愛好家の風霊守です。

普段は滋賀県の小字を趣味で研究しているのですが、今回は兵庫県三田市下相野(しもあいの)にある「頓狂な小字」を紹介します。

小字って何だっけ?

小字(こあざ)とは誤解を恐れずに言うと「細かすぎて普通の地図には載ってない地名*1です。細かい分、土地の特徴をよく捉えており、先人の生活や古代の地形に思いを馳せることができるのですが、訳あって地図に載らず一般の人々の目に触れないがために、その存在すら忘れ去られゆく運命にあります。

初耳の方は先にこちらの記事をお読みください。 fffw2.hateblo.jp

兵庫県三田市下相野の頓狂な小字

柳田國男の『地名の研究』で兵庫県に「頓狂な小字」があると知って以来、ず〜っと気になっていたのですが、『角川日本地名大辞典 (28) 兵庫県』の小字一覧*2にも載っておらず、その存在をなかなか確かめられないでいました。農地台帳の情報を電子化した「全国農地ナビ」の登場により、地図に載らない小字を気軽に拾えるようになり*3、念願かなって、ついに「頓狂な小字」の場所を突き止められました!

航空写真上に小字名をマッピングしてみたのでご覧ください。

f:id:fffw2:20201228135048p:plain
兵庫県三田市下相野。写真上端に見えるのはJR宝塚線相野駅

f:id:fffw2:20201228135118p:plain
▲1枚目の航空写真の東側。圃場整備された田園が広がる。
国土地理院 電子国土基本図(オルソ画像)2009年4月18日「三田市」より引用。画像加工により小字名を表示。)

「神田」や「八田」なんかはよくある地名なのですが、「文明田」や「愛田」のようにあまり見慣れない地名もあります。

それぞれの小字の頭をつなげてみてください。

文明開化、敬神愛国、明治八、天地人

なんと150年前の人々が地名に刻んだメッセージが浮かび上がるのです!

 

地租改正時の小字改変

明治6年1873年)に政府は土地に対して税金を課す「地租改正」を実施して近代国家の確立を進めました。全国各地で土地1筆単位の調査が行われ、この際に多すぎる小字の整理が行われました。

  • 字神殿海道+字狭間 → 字狭間
  • 字庚申塚+字北萱+字七畝割 → 字北萱
  • 字畑田+字大将軍 → 字西大将軍

のように江戸時代以前の小字のどれかを残すのが通例なのですが、中には面倒くさくなって(?) 字イ、字ロ、字ハ とか 字第一号、字第二号、字第三号 のような小字名に改変してしまうパターンもありました。

石川県などは地租改正の当時、ほとんど全部の字以下の地名をイロハまたは甲乙丙丁等にしてしまった。(略)また八王子の附近南多摩郡忠生村・七生村のある大字では字第一号、字第二号というように番号を地名にしている。(略)昔の地名は風流には相違ないが往々にして家々の呼ぶところが一致せず、訴訟紛紜の種となりやすいために地租改正を機として区劃を整理しかつ断然新たな地名と取り換えたのであろうと思う。(柳田國男地名の研究』より)

そういえば、以前、石川県を旅行したとき、嬉々としてイロハ小字をたくさん収集しました。

冒頭で「小字は普通の地図に載ってない」と書きましたが、石川県は例外的に小字が地図に載っている地域*4なので、是非Googleマップも見てみてください。カタカナだらけで楽しいです。

 

字第一号、字第二号というように番号を地名にしたパターンについては、だの氏の力作である「多摩市小字地図」を見ると一目瞭然です。多摩市の中央部の小字がごっそりと字第n号に改変されてしまってます。

多摩市小字地図の説明欄には「字稲荷森(とうかんもり)から字二号に変更」のように、無機質な小字になる前の小字名も記載されているので必見です。先人たちの暮らしを物語る小字がいかに多く失われてしまったかがよくわかります。

 

暗号解読

さて、もうお気づきの方も多いと思いますが、今回紹介した兵庫県三田市下相野の小字も地租改正時の小字改変で生まれたものです。

字・小字の新地名は数字以外にもずいぶん頓狂なものがある。(略)神田とか八田とかいう地名は昔からいくらもありそうな地名であるが、摂津有馬郡藍村大字下相野の同地名はその由来が少々違う。すなわちこの村の字を列挙すると字文明田、字開化田、字敬田、字神田、字愛田、字国田すなわち「文明開化敬神愛国」を田の上に分配したのである。また八田の方は字明田、字治田、字八田、字年田、字天田、字地田、字人田で「明治八年天地人」などを分けたので、地租改正の際の改称であることがよくわかる。(略)無造作の中に著しくあの時代の生活趣味を現わしているのが面白い。(柳田國男地名の研究』より)

このエピソードは今尾恵介氏の『地名の社会学』でも紹介されています*5。改変により江戸時代以前の小字は失われてしまいましたが、柳田國男は「無造作の中に著しくあの時代の生活趣味を現わしているのが面白い」と意外とお気に召していたようです。

ちなみに、今回の記事の執筆にあたり丹念に調査をしたのですが「字年田」という小字は残念ながら見つけられませんでした。柳田國男が単に間違えたのか、はたまた地租改正より後の時代の圃場整備で小字の統廃合が行われて消えてしまったのか*6

f:id:fffw2:20201228160257p:plain
法務省登記・供託オンライン申請システムでも「字年田」はヒットせず

調査の副産物として、文明開化、敬神愛国、明治八、天地人の他にも気になる小字を見つけました。

f:id:fffw2:20201228163134p:plain
国土地理院 電子国土基本図(オルソ画像)2009年4月18日「三田市」より引用。画像加工により小字名を表示。)

「載田」「奉田」が異彩を放っていますね。何やらメッセージ性を感じませんか。敬神愛国の類推ですが、もしかすると「載田」は「戴田」の誤記で、皇上奉戴の「奉戴」に由来しているのではないでしょうか。

三条の教憲(明治5年に国民教化のため明治政府が布達した基準)

  • 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事
  • 天理人道ヲ明ニスヘキ事
  • 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事

…あっ!あれっ!!!?

天田、里田、人田、道田、明田が「天理人道ニスヘキ事」の中にすべて含まれているぞ…!!!?

……いや、まさか……

おぉ、上田、奉田、載田、朝田、守田も「皇奉戴旨ヲ遵セシムヘキ事」の中に含まれているじゃないか。

偶然とは考えづらいほどの一致率です。期せずして柳田國男もびっくりの新発見をしてしまったかもしれません。

 

他の頓狂な小字はどうなったのか

柳田國男は「頓狂な小字」として兵庫県三田市下相野の他にも福井県三方上中郡若狭町気山の事例を紹介していました。

若狭の三方郡の八村の大字に気山というのは久々子湖の東岸である。この気山の字がなかなか面白い。字玉切追、尾切追、山切追、自切追、湖切追、移切追、景切追、色切追、誠切追、善切追はその頭字だけを拾うと「玉尾山より湖に移り景色誠に善し」となる。また同じ気山の内の福浦区には十三の字があって、是福浦、従福浦、気福浦、山福浦、領福浦、番福浦、号福浦、始福浦、苧福浦、村福浦、便福浦、理福浦及び吉福浦というので、注意して見ると「これより気山領の番号始め苧村便理吉よし」と読める。(柳田國男地名の研究』より)

めっちゃ面白いです。

心躍らせて気山の小字も調べてみたのですが…

f:id:fffw2:20201228170140p:plain
法務省登記・供託オンライン申請システムより。機械的採番で真顔になった。

…全滅でした。ああ無情。

いつの時代にこうなったかは不明ですが、すべて数字のつまらない小字に変わってしまってました。流石に「玉尾山より湖に移り景色誠に善し」はおふざけが過ぎたのでしょうか。ウィットに富んでて好きだったんですけどね。


*1:誤解を恐れずに「細かすぎて普通の地図には載ってない地名」と言いましたが、地域によっては小字が普通の地図に載っている場合があります。特に地番を小字ごとに振っている字別付番地域(東北地方に多い)では現役です。詳しくは下記の記事をご参照ください。

fffw2.hateblo.jp

*2:そもそも『角川日本地名大辞典 (28) 兵庫県』は巻末に小字一覧がありません。角川日本地名大辞典の巻末に小字一覧が収録されていないのは、北海道、新潟県、愛知県、奈良県大阪府兵庫県、福岡県の7つです。多すぎて付録に収まらないので割愛したのか、理由は不明です。

*3:全国農地ナビ」を使えば、農地の地番と小字を調べることができます。しかし全国どこでも必ず小字が拾えるわけではなく、農地の所在地に小字まで細かく書いてあるかどうかは地域によりけりで運要素があります。開発が進んでいて田んぼも畑も残っていないと全く小字を拾えないという点も要注意です。

*4:石川県は小字毎に地番を1から順に振る「字別付番」を採用しているため、土地を一意に特定するために小字が必須です。

*5:今尾恵介氏の『地名の社会学』には「民俗学者柳田國男は『地名の研究』で(略)摂津有馬郡藍村(現三田市)大字下相野・八田の新しい字を紹介している(旧藍村には大字八田は存在せず、どこか他の村の誤りと思われる)」と書かれていますが、これは『地名の研究』の文脈を読み誤っていると思われます。最初に『地名の研究』を読んだときは私もこう読んだのですが、「また八田の方は…」の「八田」は藍村の大字ではなく下相野の小字のことを指しています。

*6:勘ですが字天田の範囲がえらく広いので、この中に字年田が呑まれてしまったのではないかと予想しています。字八田の現存範囲が非常に狭いのも、大多数を字天田に呑まれたのではないでしょうか。予想を裏付けるために、兵庫県公館県政資料館公報検索システムで明治5年〜昭和49年の兵庫県公報を読み漁ったのですが、あいにく下相野の字の区域変更に関する告示は見つけられませんでした。