京都駅ビル・石の博物館の石材紹介5ページ目です。まだの方は先に以下の概要説明をお読みください。
現在見ている柱は「E」です。
A B C D E F
スペイン🇪🇸
柱Eではスペインから南へ下っていきます。イタリアやギリシアと同様に、スペインも海洋性の大理石の産出が盛んです。
E1-1 ローザポリーニョ(スペイン)
ROSA PORRINO
E1-2 グリスペルラ(スペイン)
GRIS PERLA
E1-3 ホワイトパール(スペイン)
WHITE PEARL
京都駅ビル・石の博物館の石材紹介4ページ目です。まだの方は先に以下の概要説明をお読みください。
現在見ている柱は「D」です。
A B C D E F
イタリアは石灰岩の宝庫です。きめ細やかな大理石や目が粗いトラバーチンが産出されます。大理石の代表石種はビアンコカラーラで、ミケランジェロのダビデ像を筆頭に世界中で様々な彫刻や建築に使用されています。また、トラバーチンの代表石種は、トラベルチーノ ロマーノ クラシコで、ローマの街並みを作っている歴史的な石材です。
D1-1 シェニート(イタリア)
SIENITE
D1-2 ギアンドーネ(イタリア)
GHIANDONE
D1-3 リンバラ(イタリア)
LIMBARA
京都駅ビルの正面(北側)に「石の博物館」があるのはご存知でしょうか。京都タワーについつい目が行きがちですが、実はあずまやの柱に288種類の石材が埋め込まれています。
石の博物館の説明板より
京都駅北側の6箇所のあずまやに集められた石は288種類、表記してあります主な産出国は35ヶ国です。実際に、この建物に貼られている石材は73種類です。石の名称は学名ではなく石材名です。石材名は、いろいろに名づけられていますが、ここに示してありますのは、その1例にすぎません。
なんと京都駅ビルには73種類の石材が使われているらしいです。
石の博物館に展示されている石材と照らし合わせながら、京都駅ビルの壁や床を観察して「おっ!これはブラジルの花崗岩ヴェルデサンフランシスコだ!!」などと石材探しをしてみるのもまた一興。私も先日後輩らと一日がかりで石材探しをやってきました。その結果はまた別のブログ記事に書こうと思います。
2018/05/26 書きました!
さて、石材探しをする上で、京都駅ビルの石の博物館に展示されている石材リストがあれば便利なのですが、インターネットを調べてみても誰もまとめていません。益富地学会館に石材リストがあると20年前の地学研究誌に書いてあったのですが、著者の先生にお話を伺ったところ「リストは失くしてしまった」とのこと。あらら。
リストがないなら作るのみ。ちょっと時間を掛けて石材288種類をまとめてみました。
できたー。京都駅ビル石の博物館の柱に嵌め込まれている石材35ヶ国288種類のテクスチャをすべて抽出完了!!!撮影に2時間、編集に4時間を要した。このうち73種類の石材が京都駅ビルに使われているらしい。 pic.twitter.com/1UcBwTF2HZ
— 風霊守 (@fffw2) 2018年5月11日
太陽の反射と人混みを避けて夜遅くの京都駅ビルでカシャカシャと写真撮影を行い、一つ一つ編集していくという地道な作業でした。288種類は結構多い…
続きを読む街歩き好きの後輩ふとんくんが私の暮らす滋賀県草津市に遊びに来てくれました。かねてより「私の大好きな草津の歴史を誰かに説明したい〜!」と思っていたので、ふとんくんのような好事家が遊びに来てくれるのは、まさに千載一遇の機会。張り切って案内人を務めさせていただきました!
大都会 Kusatsu City
本棚から郷土資料コレクションを引っ張り出してきました。
草津は東海道と中山道の合流点として発展した街として知られているので、初回は「道」を軸に案内することにしました。草津宿本陣、草津川、追分道標といった王道観光名所もちゃんと回れるので草津初心者にやさしいルートだと思います。草津史の基礎を押さえてない状態で、いきなり南笠古墳群や狭間池跡などの玄人向けスポットを案内するのはあんまりですからね。
ふとんくんがスペイン土産片手に遊びに来ました。おみやげは「サグラダ・ファミリアの魔方陣」の栞。素晴らしい。私の趣味をよくわかってらっしゃる。
さて、話を聞くと、ふとんくんは草津の街を歩くのは初めてとのこと。読者の中にも「草津?あの温泉で有名な…?」と典型的な勘違いをしている方がいるかもしれないので、まずは草津がどんな街かを簡単に説明しておきましょう。
風霊守「バサッ...」
ふとん「いきなりでかい地図が出てきた!」
風霊守「草津は東海道と中山道の合流点というのは知ってるよね?」
ふとん「昨日Wikipediaで知りました」
風霊守「そこからかー!」
近江(滋賀県)は日本のほぼ中央に位置し、古代より交通の要衝です。京から東国に行く場合、山側を進むにしても、海側を進むにしても、近江を通るのが近道です。
しかし、周囲を高い山々に囲まれた「近江盆地」という地形なので、通れる場所が限られています。古代人は山と山の切れ目を探し、そこに道を通しました。なるべくなら高い山を登りたくないですからね。そこで目をつけたのが美濃の不破(関ヶ原)と伊勢の鈴鹿です。
これらの場所から平坦な土地を通りながら最短ルートで京へ続く道をつくると…
なんと草津で交わります!!
(第一学習社『最新日本史図表』より引用・加筆)
京から東国へ山の中を進んでいく関ヶ原ルートが「東山道」(江戸時代以降は中山道)、海沿いを進んでいく鈴鹿ルートが「東海道」です。
草津の中でも平安時代から鎌倉時代末期までは野路(草津市野路)が交通の要衝として栄えていたのですが、次第に野路が寂れ、草津(草津市草津)の地が注目されだしました。『一遍上人絵伝』に出てくる「草津」という記述が、記録に残る最古の用例です。
「草津」という地名の初出箇所見っけ!一遍上人が草津宿で雷に遭ってるシーンだ。(『一遍上人絵伝』巻七, 聖戒, 1299) https://t.co/dopZCYNWbx pic.twitter.com/0ldOH0uSgs
— 風霊守 (@fffw2) 2016年10月8日
そして、江戸時代に徳川家康が五街道を整備し、草津宿は本格的な繁栄を迎えました。現在の草津の賑わいへと繋がる草津宿の歴史を今回の街歩きで紐解いていきましょう!強いてテーマをあげるとすれば…
風霊守「テーマは『陸の港・草津は道と共にどう栄えた!??』です」
ふとん「要素が多い」